ぐらつかない根っこを培う12の子育て魔法。子どもと共に輝く素敵な子育て哲学。半分無料公開中!

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ぐらつかない根っこを培う12の子育て魔法。子どもと共に輝く素敵な子育て哲学。


まえがき

子どもを育てる中で、ぜひ「培う」という言葉を思い浮かべてください。
「培う」とは、その根元に土をかけ育てるということです。ここで大切なことは、土も色々だということ。どういった土をかけて育てるかで根っこは、根の強さも根の深さも違い、その伸び方が違ってきます。
子どもを、より良い土壌で育てることこそが親の務めだと言えます。
そして、その土から創造される「器」は自由に表現され出来上がるもので、また、人としての「器」は能力や人格の大きさを表す言葉でもあるのです。
わが子を育てる上で、その子の能力や人格をのびのびと、ぐらつくことのない根っこに育てて欲しいと思います。
ここ熊本市東部地区帯山、西部地区川尻の二つの教室で、日々、80人の生徒たちと関わり、40年の月日を通して見えてきた12の子育て魔法を紹介いたします。


目次

(1)「何より心の安定する土壌」
(2)「最良の土は親の在り方」
(3)「眺める時間の大切さ」
(4)「輝く子どもの目を見逃さない」
(5)「リンゴは赤くて丸い?未完成でも終わりは終わり」
(6)「子どもの無限のイメージの広がりを得ること」
(7)「子ども同士の世界」
(8)「救い、助けることが出来るのは誰?」
(9)「目の前の表の評価に捉われない」
(10)「見守る世代と地域の大切さ」
(11)「気づくこと、優しさ、思いやりの心を育てること」
(12)「子どもにとっての良い人生」


(1)「何より心の安定する土壌」

私の教室にはピアノ・絵画・英会話・書道・学習の五つのコースがあり、生徒たちの顔も色々で、普通に習い事をしたい子もいれば、学校などの大人数の体制の中にいるより少人数のグループの中で楽な気持ちで自分を表現したいとレッスンを受けている子たちもいます。教室の特徴として、勿論レッスン内容を習得する目的がありますが、他の習い事教室と少し違うのは、私塾であることから結果的に体制に自由が利き、子どもたちの成長する「土壌」を与えられているところだと思います。
けれども、四〇年の生徒指導の中でスムーズにレッスンが進まない生徒たちがいました。レッスンの間、終始、お喋りが止まらなかったTちゃん。「マリコセンセ、頭が痛いよ、、」お喋りをしながら頭痛を訴え、Tちゃんは目の下の湿疹もなかなか治りませんでした。指導のI先生はとにかくTちゃんの状態を落ちつかせようと抱きしめながら、ずっとずっとTちゃんの頭を撫でていました。実はTちゃんは五人兄弟の末っ子で兄弟の中に発達の遅れのあるお兄ちゃんがいたのです。ご両親はそのお兄ちゃんの事でいつも大変でした。家庭の日常も穏やかではありませんでした。Tちゃんは「私はここにいるよー私を見てー!」といつも叫んでいるように見えました。止まらないお喋りも発熱も湿疹もその叫びの表れだったと思います。Tちゃんはお勉強も計算もとても苦手で、やろうと一生懸命向かうのですが何故かどうしても出来ませんでした。Tちゃんの心はお勉強に向かえるような状況ではなかったのです。その後、Tちゃんのお母さんとは一緒にお話を重ね、Tちゃんは少しずつ安定していきました。今、Tちゃんは三人の子どもを持つ明るい元気なお母さんになって幸せに暮らしています。
子どものお勉強も習い事も躾も、その子の心の状態が影響するということです。子どもの熱、腹痛、湿疹、咳なども表面上は病気として現れますが、子どもの場合、実際の病因はその子の「土壌」にあることが多いのです。
家庭内での日常生活のリズムが規則正しいこと。たとえば、お母さんがいつも同じ時間にいて、同じ時間にちゃんとした食事が摂れること。同じ時間に眠りにつけること。そして、親や兄弟たちとの心許せる楽しい会話があることは子どもの心が安定し、一番大切な家庭内での子どもの「土壌」が確保出来ているということなのです。そのような「土壌」があれば、子どもは気力が充実し、のびのびと自分自身を発揮することが出来るようになります。躾や、お友達との関係、身体の状態、お勉強など、向かう全てが改善されるはずです。

子育ての魔法
親は子どもの土壌作りに心を配り、子どもの環境と生活のリズムを整えましょう。


(2)「最良の土は親の在り方」

我が子を育てる中で、親として先ず心して頂きたいところがあります。それは、何事が起きても何より貴方が一番大切だと子どもへ実感させることです。そして、その上で親として最良の土を与えて頂きたいと思います。
以前、教室の中で生徒同士の些細なもめ事が生じたことがありました。私が双方の言い分を聞きながら、双方の生徒も自分たちで解決策を見出だそうと努力していたところへ突然、片方のお母さんが口を出して来られました。そして、自分勝手に見えるところだけで事態を判断し、相手の子どもを悪く言った上で自分の子だけを擁護し、結局、「○○ちゃん(我が子)は、この中ではやっていけないでしょ!」と非常に狭い判断をされたのです。これでは口出しも持って行き方もあったものではありません。対応を誤った親の最悪の土が子どもへ突然覆いかぶさった例と言えるでしょう。我が子可愛いさが故に適切な対応を見失ってしまった親の典型です。そして一番気になったのは、それでその生徒の心が納得出来、安心して踏み出せたかというところでした。関わっていた生徒たちへも改めての私からの説明も必要になってしまいました。
子どもたちのもめ事では、ひと呼吸置き、事態を把握するためにも双方の言い分を聞きながら、その言い分が正しいか、どこが間違っているか、当人たちに考えさせ、納得できるよう促し指導すべきです。勿論、助言は必要ですが大人が子ども同士の世界を無視し、大人の目線で一方的に判断するのは少し乱暴な解決法なのです。
親の在り方として、子どもに最良の土を与えるにも子どもの世界の実情をしっかり確かめる必要があります。子どもの世界には見えるところでの悪い行いが意外と思いも寄らない思いの潜んでいる場合が多いのです。親が大人の目線だけで対応しても本当の子どもの心を納得させるには至らないところがあります。
だからこそ、子どもが親は自分をちゃんと理解しようと努めている、何より自分の事を大切に思っていると実感させることが必要です。親は子どもの世界での子ども同士の関わり、色んな気持ちや受け止め方、そして、思いもつかないような感性を子どもの目線で汲み取ろうという姿勢が大切になります。この思いもつかない子どもの感性についてはのち程述べたいと思いますが、親が子どもの世界での子どもの心に添い、適切な言葉かけや助言が出来るようになれば、子どもはそれぞれの芽がそれぞれに良い芽を出し、良い方向へスクスクと育つはずです。

子育ての魔法
親は子どもの感性を汲み取る努力を忘れず、子どもの目線に添った言葉かけ、助言をしましょう。


(3)「眺める時間の大切さ」

教室でのレッスンの様子を観ていると、レッスンの流れと少し離れたところにいる生徒が見受けられることがあります。
そういう時は、「○○ちゃん、皆と一緒にレッスンに入ってお座りしてください」という指導が当然だと思われるでしょう。けれども、うちの教室ではあえて、様子をみることにしています。
しばらく眺めていると、レッスンに加わりたくない訳ではなく、ウロウロしながらレッスンの様子をチラチラ見ていたりしています。これは一体どういうことでしょう。
子どもは一人ひとり資質に違いがあるのです。レッスンが始まってすぐにお座りしなきゃと自分に言いきかせが出来る子もいます。ところが、目の前で何か違ったことが始まる時、少し時間の必要な子がいます。また、用心深く様子を伺う子、自分の課題を前にして他の子の様子や周りが気になる子など色々なのです。これを最初から一まとめにして持って行っていいものか。私はそこには少し疑問を感じます。
教育は異質のものを一まとめにし、将来的な社会適合を目的としているところがあります。また、教育産業の習い事は一人ひとりの状態に添った指導は体制的に難しいところがあるのです。けれどもこの幼児期から小学校低学年の間というのは特に発達の個人差も大きく、また、最も感性が育つ時期だと思います。出来ればこの時期は許されて、一人ひとりの子どもの心が十分に満たされ興味を示す時間を待って欲しいのです。眺めながら、様子を伺い、少しずつ適切な言葉かけをして誘導すべきです。何処までもそれを許すことはさすがに違うのですが、幼児期、小学一、ニ年生位まで、ここでは個人的に対応できる「土壌」を与えてあげることが出来ると思っています。レッスンを無視し、ウロチョロする子に対しての指導はまた別ですが、何か気になり、様子を伺っていたり、子どもなりに気持ちを温め、整理をしようとしているのならば、こちらも「眺める時間」が必要だと思うのです。
これは、家庭内でも同じことです。子どもは自分の興味が湧き、気持ちが向けば直ぐに凄い集中力を示すはずです。けれども、他から与えられることへは、気持ちを移すことに少し時間がかかる場合が多いのです。「ハイ!次はこれを、やりなさい!」と言われても心が何か一生懸命そこにある時があります。たとえば、絵本を読んでいたり、おままごとをしていたり、自分が楽しんでいる時に違うことを与えられるといつまでも止めない場合があります。そういう時、目の前の子どもの様子を暫く「眺めて」欲しいのです。そして、子どもが楽しんでいることへ心を添わせてみてください。そして一声、声をかけてあげるのです。「御本のここ、面白いね~」とか「おままごと、楽しい?」といったその一声の言葉かけは親から培われる土としては適切でとても上質な土だと思います。何故ならば、そのお母さんの言葉かけひとつで子どもは嬉しくてスッと安心出来、子ども自身の心が育つからです。それが出来れば思いのほか他のことへの誘導もとてもスムーズに出来ると思います。

子育ての魔法
親は子どもの心が十分に満たされ、興味を持ち楽しんでいる様子を「眺める時間」を持ちましょう。


(4)「輝く子どもの目を見逃さない」

今、子どもの習い事の教室はとてもたくさんあると思います。普通、そういった習い事の目的はたとえば、ピアノが上手になること、英会話では発音が良くなり、英会話力が身に付くことなどが目的なのですが、私の教室の目的は少し違うところにあるように思います。
子どもの習い事はレッスンを続ければピアノも英会話も絵画も上手にはなって行くでしょう。けれども上手になるということが将来的に何に繋がって、どうなれば親は満足なのかです。英語が上手くなれば受験に効果的?女の子にはピアノ位は身に付けていた方が良い?絵画を習う目的は何でしょう。
子どもを育てるとは何を育てる事なのでしょう。子どもを良い土壌で良い土をかけながら、素晴らしい器が出来るために必要なのは何なのかです。前の章でお母さんの言葉かけ一つで子どもの心が育つと書いたと思います。実は、子どもの感性、たとえば、楽しい思い、嬉しい思い、驚きや、悲しみ、面白いと感じている時は大人が思っている以上に心に深く感じている時なのです。何故ならば、普段、日常の中でも子どもにとっての全く初めての経験という事が大人の予想より実際は思いのほかたくさんあるからです。ですから、子どもは目の輝きが違うのです。それを汲み取り、認めて一声かけてあげることが上質の土であることの由縁です。目の前の子どもの心の瞬間をしっかり受け止めて欲しいと思います。そうすればいつか、興味あることへ自分自身で向かい、学ぼうとする姿勢へ繋がる時期が来るはずです。そしてそれは学びを与えることではなく、自発的な学びの姿勢を促すことなのです。
今の教育現場での詰め込まれる勉強で本当に子どもが知識を磨けるのかということへ、私はとても疑問を感じています。詰め込まれる勉強では目の前のその問題は正解することが出来、訓練で時間的にも多くのことを消化できるようにもなるでしょう。けれども、本当にゆるぎない幅広い知識が身に付くでしょうか。
四十年間生徒たちを観て来て、物事への関心が広く、深く掘り下げ、自分で意欲的に学ぶ姿勢を示す生徒がいます。そういう生徒は不思議と詰め込まれる以前に自分自身の知識を身に付けています。目の前の問題を自分の培った知識で幅広く捉え、噛み砕き消化することができるのです。結果的に成績へも繋がっているようです。けれども、それはいつ、何処でどうやって身に付けたのでしょう。また、小さい時は学校のお勉強が出来なかった生徒が後に目覚ましい伸びを示すこともあります。何故でしょう。それはどちらも底力が違うのです。自力で蓄えたたくさんの良い土である経験に寄っての根がはっているからです。また、成績が伸びなくとも私が将来的には大丈夫だと感じる生徒は根がしっかりしていて、勉強だけでなく色んな興味へ自力で向かう力が身についています。それらは、良い土壌の良い土によって、自力で土を培う力を得、自分の器を活き活きと大きく出来る力を持っているという事だと思います。
私はそういうことを目的とした土壌としての教室を心掛けたいと思って来ました。生徒の目の輝きを見逃すことなく、一つ一つをしっかり受け止め、生徒と一緒に根っこを育てていくことだと思っています。望むものは上手くなることより、まず、生徒自身がそれを十分に楽しんで輝いているかというところです。
家庭でもぜひ、心掛けて頂きたいのは、その輝きの瞬間を見逃さないで欲しいということです。のちほど、その輝きについては具体的に詳しく述べて行きたいと思います。

子育ての魔法
親は子どもの心に深く感じている瞬間とその目の輝きを見逃さないようにしましょう。


(5)「リンゴは赤くて丸い?未完成でも終わりは終わり」

教室の絵画コースの生徒たちが五月末のお花の終わる季節にお花をいっぱい集め、生け花を生けたことがあります。小さなお皿や色んな器に生徒たちが思い思いにお花を生けたのですが、レッスンの指導では、お花の高さを変えることや、色やお花の大きさを考えることなどの指導があっていました。出来上がりは可愛い生け花が沢山出来ました。作品を仕上げた後、ある生徒が「センセ!もう一つ出来上がり~☆」とさも満足げな顔でもう一つの生け花を持って駆け寄ってきました。その生徒は指導の作品を仕上げた後、外へ出て、枯れ枝、空き瓶、転がっていた石などを探して回り、そして、それらを自由に創作し、お花を思いっきり楽しんで生けていたのです。「マリコセンセ、今日の指導って何だったのでしょうね、、、」指導された先生が呟かれました。その生徒の作品が自由に伸びやかで目を見張るほどに一番素晴らしかったのです。「要らぬお節介の指導でしたねー」と苦笑いの私たちでした。
また、ある絵画レッスンで三歳のMちゃんがリンゴを描いていました。横にいたお母さんが必死に「Mちゃん!リンゴは丸いでしょ!それに赤いんだよー」と言われました。即座に「Mのリンゴだもん」とMちゃんは言い放ち、お母さんの言葉なんぞ聞く耳もなくドンドン作品は出来上がりました。歪な形の可笑しなリンゴさんが出来上がりました。Mちゃんはとても嬉しい顔です。けれども、画用紙の中には未だ白い空きスペースがありました。またまた、お母さん。「未だ、画用紙、白いとこ、あるでしょー」
Mちゃんが言いました。「いいんだってば!終わりなんだってば!」
Mちゃんは画用紙を両手で持ち上げてニコニコ笑顔でした。造形の作品制作でも同じようなことがあります。形を造り、色を塗る過程になっても色を絶対に塗ろうとしない生徒、または、色をある部分だけ残して塗ろうとしない生徒がいます。絵画や造形作品の白いスペースを残す生徒は多い気がします。多分、通常の指導では最後まで塗りつぶしをさせるのが当たり前でしょう。けれども、そういう時、子どもの顔を眺めるとそれは、別にサボって色塗りをしない訳ではなく、自主的に敢てそうしたいから塗らないだけなのです。これはどういうことかというと、作品の完成度の問題で、大人から観て満足できる完成度の高い作品が必ずしも子どもにとっての完成作品には非ずということです。
子どもの中では器は十分に満たされ、誰が何と言おうと終わりは終わりなのです。

子育ての魔法
親は自分の満足度で子どもを動かさないようにしましょう。子どもの心が満たされた瞬間の終わりを認めましょう。


(6)「子どもの無限のイメージの広がりを得ること」

私は教室では代表兼ピアノコースの指導講師という立場なのですが、特に小さい子のピアノレッスンの場合、曲を前にして最初からお行儀よく座らせて弾かせるという形をとっていません。たとえば「セキレイ」という鳥の曲を弾かせる時、初め、生徒にいろんな動物のピアノの音を出してやり、その動物に成りきらせて動かせてみます。そして「今度は、セキレイの鳥になってみよう!」「??」「じゃあ、セキレイってどんな鳥か事典で調べてみようか」事典を一緒に見ながら「セキレイは水辺にいて水辺をチョンチョンと飛び回って動き方も素早そうだね」と色々お話をし、時には絵を描かせたり、折り紙を折らせたりする時間を持ちます。そうするうちに生徒は身体で「セキレイ」を感じ、「セキレイ」がどんな雰囲気の鳥かを知る訳です。生徒が「セキレイ」のイメージでいっぱいになったとき、初めてピアノへ向かわせるのですが、そうすると生徒は「セキレイ」の鳥のイメージをたくさん持って自分から嬉しそうにピアノへ向かうことが出来ます。小学校低学年位まではピアノ曲の表現や音質などの指導には感覚的なものを想像させた後、ピアノへ向かわせることが多い気がします。たとえば、二部形式の曲では「最初の部分は食事の時のご飯の味、曲の真ん中の部分は美味しい卵焼きやおかず、最後の部分はまたまたご飯の味~」といった具合です。
結局、全てにイメージし、レッスンへつなげることで生徒たちは魔法にかかったように活き活きとピアノに向かうのですから本当に私が不思議な位です。将来、子どもをピアニストにでもするのならば別ですが、私が望むのはピアノを通してのびのびとした感性を養うことで何より、色んなものを音楽で表現しようという意欲を育てることです。勿論、テクニックなどの基礎は大切ですし、理論も少しずつ習得する必要はありますが、それを幼いころからガチガチとしたピアノのレッスンで終始やってしまうと子どもは音楽を楽しむ前にピアノが重荷になってしまうことが多い気がします。まずは色んなものを知るということからです。曲名の意味も知らずして理論や技術を先行させるのは子どもには不適切だと思っています。そうして、ピアノで表現することで感性を培い、いつの日かそれを踏み台にして自分の器をのびのびとした表現力で打ち出して欲しいと思っています。
このように、子どもはイメージし表現することが大好きです。大人より日常が感覚的であるということです。実は同じように遊びのなかでもイメージし様々な方法で表現しているのですが、この楽しさを表現することが度を超していった場合、子どもの悪戯や様々な悪さなどをしでかしてしまう訳です。そこで、大人は目の前の事実だけを見て、「悪さをして!とうしてそんなことしちゃうの!」と簡単に叱ってしまったりしているのです。その背景にある子ども独自の楽しい世界や、多くのイメージの広がりには大人は意外と無頓着で汲み取ろうとはしていないようです。
私がそうであるように、その世界を知ろうとすれば大人も子供と一緒に子どものイメージする楽しい瞬間を得ることが出来るものです。そしてその子どもの感性を共感できる瞬間こそが子どもが安心して心を許せる大人の認められる瞬間でもあるのだと私自身が実感しています。

子育ての魔法
親は子どもの独自のイメージの広がりを汲み取る努力をして、子どもと共感する喜びを感じましょう。


以上、ここまでで半分終了です。

本書でこのあとに書かれているのは

(8)「救い、助けることが出来るのは誰?」
(9)「目の前の表の評価に捉われない」
(10)「見守る世代と地域の大切さ」
(11)「気づくこと、優しさ、思いやりの心を育てること」
(12)「子どもにとっての良い人生」

となっております。

 


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