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ADHD諸君、自分で自分の可能性を狭めるな!


Contents

まえがき

発達障害者と診断を受けた時、仕事の環境について人とあまり関わらないほうがいいと言われたことがある。実際に同じ境遇の人で、何人かは言われたことがあるのではないでしょうか?
何故人とズレてるだけでこんなに生きにくいのか、少しでも前向きになってほしいです。現代社会で、職場で、自信がない、もしくは辛くなってるあなたはコミュニケーションが苦手だから?「ほうれんそう」ができないから? 職場の空気を乱してしまうから? 傷つく可能性が高いから? では、その特性を知った時、受け入れた時、そのままにしてずっと人とあまり関わらないで生きていけるのでしょうか?
一番痛感したことは、社会に出てから発覚して苦しんだこの障害は社会の中でしか解決しないのだなと、人とあまりかかわらない職場では自分はなんの工夫もこらせずに経験も積めずに今でも苦しんでいたのではないかということ。
自分の特性とうまく付き合いたいのなら人と関わって様々な発見をしていくことだと思い書かせていただきました。


目次

「私を長年困らせていた犯人を逮捕」
「自分からアクションを起こさなければ誰からも助けてもらえない」
「発達障害者の癖を知る」
「私が社会に出てから気付いてしまった発達障害ADHD」
「ほうれんそうと周囲への配慮」
「もし集中力が途切れてしまったら」
「時間把握が苦手、時計をうまく見ることが出来ない、時間間隔がない」
「無謀、無茶、無理の三つの「無」の線引きを自分なりにしておく」
「三つの無で少し判断に迷ったら我に返ること」
「おさらい」
「自分で自分の生活、活動、思考視野の範囲を狭めない」


「私を長年困らせていた犯人を逮捕」

私は現在28歳ですが、学生時代から“うつ病と不眠”で通っていたメンタルクリニックにて、2年前に医師が変わった際、発達障害を疑われ検査を受けて典型的なADHDであることがわかりました。
社会に出てから発覚したために成人期発達障害(成人期ADHD)となります。
昔を振り返ってみると、苦手科目はどう努力をしても成績は上がらず、宿題などの提出物も期限を守って出さないどころかそれを無くす始末でした。遅刻魔でもありとてもルーズな人間だったと思います。しかし私の中ではすべて一生懸命で自分なりに真面目に動いて生活していたのでいつも疲れていました。何故いつもモノを無くすのか、約束したことや期限を忘れるのか・・・確認して準備万端でも何かがいつも欠けていました。時間をうまく把握できないために遅刻をするのか身支度が遅すぎるのか・・・
すべて一致してしまうのは注意散漫多動性、その「ADHD」が私を困らせていました。
学生時代、私は教師が板書をしている時、黒板に書かれたことをノートに書き写すことがとても苦手でした。書き写すことが精いっぱいで授業の内容は頭に入ってません。
簡単に言うと社会や数学のように書くことが大事なものがとても苦手でした。
書き写すという作業でも少しでも自分の字に納得がいかなかったら何度も書き直してしまうほどです。なので友人に貸してほしいと言われることが多くあるほどノートだけはいつも綺麗に書き写されていました。こういったこだわりの強さが自分にとって大変で、しかしやめることもできませんでした。
逆に言うと、国語について漢字はどのようにしてそのような漢字になったのかを学びながら覚えていけたので得意科目となり、また何かの小説などをピックアップされたものを紐解いて学んでいく、情景をイメージしていくことが多かったので書き写しながらそのストーリーを頭の中で再生し、学んでいくことが出来たので成績は一番良かったのです。
イメージできる教科、実践して学んでいく科目、これについては問題なく苦手科目の赤点をカバーできるほどでした。
中でも私は美術が得意で幼少期のころからコンクールで賞を受賞することが多かったので、好きなものに対しての執着や熱の注ぎ方がADHDそのまま出ていたと思います。
しかしこれについては他の障害から得た特性が特技になったのだと今は思います。
数学が苦手なのは学習障害であり、自分の中で納得できるきれいな字が書けるまで書き直すこだわりの強さや、絵画が得意なのはアスペルガーだとまとめておきます。


「自分からアクションを起こさなければ誰からも助けてもらえない」

私たち成人期発達障害は、幼少期に見逃されなければ養育されることで改善されあまり苦しむことなく生活してこれたでしょう。
私の例ですが幼少期は片親で、母はいつも仕事へ行って帰ってくる頃には自分でご飯を済ませてあるのであとは母とお風呂に入って寝るだけのコミュニケーションしかなく、保育園での出欠手帳(?)の保育士のコメント欄にて母がそれとなく保育園での私を把握する程度でした。
姉もいますが年が離れているので姉は姉で学校生活があり、やはり私の独特な特性を発見する機会は設けることが出来なかったと思います。
そして見逃されるということで、幼児期から大切な経験を積むという作業を学生まで逃してしまいました。
私たち発達障害者は、先天性の脳の異常であっても、それぞれの家庭環境でなにかしら成長するにあたって必要なものをこぼしてきてしまった、成長に必要な経験値が少ないため人より苦労する、多くのアレンジと工夫を覚え努力して生きていかなければならないという認識を持ってもらいたいのです。何故ならば、私たちは努力をしても、出来ないことはどんなに努力をしても周りの期待に応えれるほどの成果を出すことが出来ない、苦手なものは苦手でやり方を変えていく、周囲の人に助けてもらう必要があるからです。周囲の人に助けてもらうために自分から行動を起こさなければ何も変わりません。もし行動を起こす勇気を少しでも持っていただけるなら、この本はその工夫とアレンジ、周囲の人にフォローをしてもらえるように読者に少しでも行動を起こしていただけるよう私自身の体験をもとにみなさんの背中を押していきたいと思っています。

私はあるだけの発達障害の本を読みましたが、どんなに発達障害の本を読んでもADHD,アスペルガー、LD障害の特性はたくさん書いてあっても、困っていることの工夫などはその人によって特性は千差万別なのですべての工夫・解決策は書かれておらず、一般的な工夫しか書かれてないと思い内容は大体同じものだと私は思っているので、もし発達障害の特性について知りたくて何か本を買うならば一冊で十分だと思いました、この本ももしかしたらそれらの書籍の一部になってしまうかもしれませんがこの本の目的は工夫やコツを得たところで行動をいかに読者に起こしてもらえるか、です。

周囲の人に助けてもらうために自分から行動を起こさなければ何も変わりません。


「発達障害者の癖を知る」

私たち発達障害者で比較的、多く見られる癖があるお話をカウンセラーの方から聞いたことがあります。この本は基本的に成人期ADHDについて書いていますがアスペルガーの人もどことなく当てはまるのではないのでしょうか。
・わからないこと理解できなかったことを人に聞くこと、聞き返すこと、それを隠すこと
・報告 相談 連絡 (ほう れん そう)のどれかが欠けている、忘れてしまう、またはすべてができない
ここで何かに当てはまった人は社会に出て苦労しているのではないのでしょうか。
またはこれから苦労するかもしれません。前の文であげた2つのことは幼少期から社会に出るまでに人が自然と身に着けるものです。
私は“ほうれんそう”が出来なくて家族をいつも困らせて、なぜこんな当たり前のことが出来ないのかと言われ自分でも何故出来ないのか理解できなかったために自分自身もひどく落ち込みました。
私は自分の苦手を知るために1枚の白紙を用意して、出来ないこと、苦手なこと、恥をかいたことをすべて書き出しました。
なのでこの機会にあなたが誰かかしらから何かを言われて落ち込み自信を失ってしまった物事を思い出して、それは苦手分野にしていないか考えてみて、綺麗に書こうとしなくてよいので出来ないことと苦手なことを書き出してみてください。
自信を削がれてしまったためそういう物事を避けるよう癖になってるかもしれません。
もう一つ考えてほしいことは、周囲が当たり前にできていて自分がそれを知らなくてできなかったことによって恥をかいてしまい自尊心を削がれた経験があるならそれも思い返して紙に書いてください。以下は私が恥をかいた例です。
・「水筒を分解して洗うということを知りませんでした。ゴムパッキンをとって取れるパーツは外してきれいに洗うという方法を知らなかったのです。ゴムパッキンがはずせりんだという軽い衝撃を受け恥をかきました。」
その自分で書き起こした紙を見つめ直して避けていること、なるべく関わらないように逃げていることに赤ペンで丸で囲んでください。
新しい白紙に赤ペンで囲ったものを箇条書きにして書いて自分がそのことについて何故苦手、出来ないのかを考えて自力でどこまでできるのか限界のところまで書いてください。以下に書き方例を載せます。
・電車が苦手なのでタクシーや自転車、車移動をしている?発券機で切符の買い方がわからないから?料金表を見てもどこをみればいいかわからない?駅員さんに料金を訪ねたら自分で発券機で切符を買える
・口頭説明をされると内容を覚えることが出来ない、すぐに忘れる?メモをとっても聞きながら書いたのでたまにその内容が正しいか自信がなくなる?聞き直す機会を掴めない、勇気が持てない?フォローが必要
・報告が苦手?親しい人には報告できる?その他の人には書面報告ならできる?口頭報告ならば・・・フォロー、工夫が必要
このようにピックアップしてください。
自力で解決できるものを赤線で消していって残ったもの「フォロー、工夫がほしいもの」をだけを残してください。
その残ったものを「あなたの特性」として、以降から特性と略し書いていきます。
その特性は幼少期からあったものなのか、最近気付いたものなのか、誰かの行動を見て自分にはできないなどのように思ってしまったのか、元々の性格のものなのか考えてみてください。
一つ言えることは、幼少期から現在まで少しでも自尊心や自信を削がれてしまっているものなのではないのでしょうか。やり方がわからないなども、やり方を人に聞けてないことと考えればそれは勇気や自信、聞き方がわからないためだったりします。なんでこんなこともできないんだろうと落ち込むならば何か工夫や策はないかなと探せるようになれたほうがいいですよね。「自分はこれが苦手だから」とか「どうせ自分にはできない」とか考える癖を付けるのではなくて策を見つける癖を、探す癖を付けていく、だって何かできないからと言って自分の評価を下げて卑下する必要はないからです。
ピックアップ作業をしてもらった理由は、あなたの「出来ない・苦手」を享受してもらうためです。
簡単に言いますと出来ないものは出来ないし苦手なものは苦手だと開き直ってほしかったからです。
その特性をしっかりと受け入れたことで、SOS発信するための材料が出来たわけです。
材料が出来たところで、そのリストをそのまま「私はこれが出来ません、これが苦手です」と周りの人に丸投げしないでください。あくまでも開き直ることは苦手なものを苦手だと認識してしまうことです。
出来ないことの丸投げは誰も助けてはくれません、あなたは少し変わった普通の人だと周りからみられがちだと私は思ってます。見えない障害の辛さがそこにあるのですから。

「どうせ自分にはできない」とか考える癖を付けるのではなくて策を見つける癖を、探す癖を付けていく


「私が社会に出てから気付いてしまった発達障害ADHD」

私は20代半ばに契約社員としてある会社で働き始めました。
独特の職業で、ミスが起きてしまったら一大事になるので少しでもわからないことは最初説明してくれていても何度も質問してくれて構わないという点では今では自分にとって良い環境の職場でした。
しかし私の中で一生懸命仕事をしているつもりでも、自分でも何故そうなってしまったのかわからないミスが何度かあり、職場の人に少し警戒されるようになってしまいました。といってもドジをしてる程度のもので一大事なミスではなくセーフなところもあって周囲に距離を置かれるなどといったことはなく、熱心で悪気がないことからむしろかわいがられてたと思います。
カウンセラー曰く、ADHDの人は純粋で無邪気である、そこが魅力であると言ってくれました。
そうなんです、私は私が原因で人間関係で悩むことは0に近いくらい無くて、むしろ他人の喧嘩の板挟み、仲直りのつなげ役に苦しむタイプでした。そこに関してはよい人に恵まれやすいと思っていて運が良いとも、また自分のお人好しから運が悪いとも思ってます。
そしてどこに行ってもド天然な性格だと思われてそういった意味では周りの人を笑顔にできることからいじられキャラとして愛されるほうだったと思います。
なので当時その職場でもいじられキャラとして受け入れられていたと思います。
そしてよく会話を重ねていた同僚の先輩方によると、私は当時あまり辛い顔など表情を顔に出さないために何を考えているのかわからなかった、理解してるのかしてないのか、何に悩んでいるのかわからなかったと言われました。
ぼーっとしているように見えていたこともあり怒られたこともありました。
ADHDの方ならわかると思うのですが、確かに自分の世界に入ってしまいぼーっとしてしまう時があると思います、でも頭の中は整理できてない情報がぐるぐると回っていて、そしてあちこち注意がいって常に脳は忙しいのではないのでしょうか。私は当時その職場で、ぼーっとしていたのではなく、動く機械に気をとられていたり、次やるべきことはどれなのかと整理できてない頭の中の情報から探し出すことでいっぱいいっぱいなだけだったのですが、やはり周囲の人には忙しい中ぼーっとしてる、そんな印象を与えてしまっていたと思います。私から、何を考えているのか何も発信していないわけですから。
ヒトとのズレがあるとはだいぶ前から実感していたものの仕事をする上での苦労が思ったよりも自分を辛くさせていて、冒頭で書いた当時うつ病と不眠で通っていたメンタルクリニックにて検査を受けてADHDと診断名が付き、治療が切り替わってからADHDのお薬「ストラテラ」を服用開始し、同時にずっと受けていたカウンセリングもADHDにスポットを当てたものに方向転換しました。
かつてのカウンセリングは自分の性格傾向をとらえて改善していく、社会に過剰適応してしまう傾向の修正、周囲とのズレの修正と、とにかく自分の難があるものの修正をすることで社会に適応していくカウンセリングでしたが、方向転換したことによってズレの修正ではなくて、ズレ具合を受け入れて工夫して周囲に馴染んでいくこと、出来ないこと苦手なことに関しては努力を重ねる忍耐力を付けていくことから、「出来ない・苦手」を把握して工夫とアレンジを加えて適応していくことに変更、それによって大分楽になりました。鬱と不眠はそれによって軽くなり、二次障害として扱うようになりました。
発達障害の話に戻りますが、私は暗算が苦手です。それはどんなに暗算練習の努力をしても人並み以上にはならないのですが、電卓を使ってしまえば余計な時間はかからずに人並みに、かつ正確に計算を行えるという工夫によって周りに馴染むことができるのです。しかし、これはその会社によってはちゃんと事情を話さなければいつも電卓を使える状態でいれないと思うのでやはり自己発信は必要だと思います。以下から当時ADHDだと発覚してから行った私の工夫やアレンジ、実行例を挙げたいと思います。
ADHDの人はとにかく注意散漫です。これをまず“細かいところによく気が付く、目が行く”とプラスに変換してしまいましょう。仕事においてそれは最強の武器になります。活かすのはあなた次第です。

“細かいところによく気が付く、目が行く”とプラスに変換してしまいましょう。


以上、ここまでで半分終了です。

本書でこのあとに書かれているのは

「ほうれんそうと周囲への配慮」
「もし集中力が途切れてしまったら」
「時間把握が苦手、時計をうまく見ることが出来ない、時間間隔がない」
「無謀、無茶、無理の三つの「無」の線引きを自分なりにしておく」
「三つの無で少し判断に迷ったら我に返ること」
「おさらい」
「自分で自分の生活、活動、思考視野の範囲を狭めない」

となっております。

 


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