無感動に働くと夢が近づく。 無気力に目標へ近づくルーチンワーク。継続と習慣化と情熱の関係。半分無料公開中!

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無感動に働くと夢が近づく。
無気力に目標へ近づくルーチンワーク。継続と習慣化と情熱の関係。
 

無感動と感動と

夢を成し遂げる人は、きっといつも情熱的に努力していると思うだろう。しかし、実際は、少し違う。

夢を成し遂げるには地道な努力がつねに必要だ。スポーツ選手にたとえるなら筋トレや基礎練習のような地道な努力だ。こういったことは、どんな夢を達成するにも必要だ。

夢を達成するためのメニューを毎日感動的に行うことは事実上不可能で、何かに卓越しようと思ったら、どうしても無感動にならざるえない。

本書では、努力を続けるための心構えを分析することにより、物事の習慣化に当たってなにが必要かを考えていく。

夢を叶えるために、継続的な努力をしたいと思っている方に非常に役立つはずだ。
 

無感動、無気力でもトレーニングを続ける。

毎日決めたルーチンワークを繰り返さなければ決して目標は近づかない。しかも、それは会社に行くというようなことから、毎朝本を読むとか、英語を勉強するとか、筋トレするとか、いろいろなことがある。

そういったことをしっかりとこなしていって、ようやく目標に近づくことができる。

もちろん、ルーチンワークをこなしているときの集中力は重要だ。しかし、そもそもルーチンワークをはじめなければ、その集中力を発揮する機会もない。

目標に近づくには集中できようが、できなかろうが、とにかくやり続けなければならない。

そこで、考える必要がある。

集中してルーチンワークをこなすのは一番いいのだ。それは確かだ。
しかし集中を求めすぎると、ルーチンワークにクオリティを求めていくと、どうしてもできない日がでてくる。

身体が疲れていて集中できなかったり、嫌なことがあって集中できなかったり、理由はまったくないけど、なぜか集中できなかったり。
大きな目標を達成するためには何年も努力を積み重ねないといけない。その長い年月をつねに集中できる日で積み重ねることは不可能なのだ。

集中にこだわると、できない日がでてくる。
今日は集中できない。だから、ルーチンワークに入り込めない。そんな状態だ。

そんな気ままに、できる日はやって、できない日は、やらないということでは、実際には目標は近づかない。

そこで最初から、集中を求めない。もちろん面白さも求めない。感動なんてもってのほかだ。

ただ、単に無感動に作業を繰り返す。
それは、さながら歯磨きや、風呂のようなものだ。
たとえば、会社に毎日行くだろう。無感動に会社に行くというと、本当にダメ社員のようだが、それでも、給料は貰える。無駄遣いしなければ貯金はたまる。
その感覚だ。

無感動でもいいから目標に向かってルーチンワークを積み上げる。すると自然と貯金がたまってくる。それが積み上がって目標への階段となるのだ。

また、そのくらい無意識の作業にまでルーチンワークを高めていきたいということもある。風呂に入らなければ落ちつかない。歯磨きをしなければ落ち着かない。そういう領域まで持っていけばラクになるのだ。

 

感動を繰り返すルーチンワークはあるか?

たとえば、スポーツ選手の地道なフィジカルトレーニングでも少しずつ自分に変化が出て感動するということもあるだろう。急にできなかったことができるようになったり、身体測定の数値がよくなったり、それに打ち込んでいるからわかる感動というものがある。
しかし、それはやる気がない日も乗り越えて乗り越えて達成できる世界だ。

そういったものではなく、一般的に面白いことばかりをやって、楽しみながらルーチンワークをこなして目標に近づくことはできるだろうか?
大きな夢を成し遂げることはできるだろうか?

たとえば、映画評論家はどうだろう。
映画はそもそもが人を感動させるものだ。評論家の仕事を二つにわけると、インプットとアウトプットになる。
映画を見ることと、評論を書くことだ。書くことに関しては、自分のなかから出すものであるから、必ずしも感動的ではない。作家に近い領域だ。スランプのようなものもあり書けないこともあるだろう。
しかし、映画を見るほうはどうだろうか?

実は、これに関してもスランプがあるだろう。
映画評論家になるような人は、映画が好きで仕方なかったはずだ。しかし、仕事で見るとなると量が違う。1日5本、6本と見る。
そこまでやると、映画の類型のようなものも見えてくる。それが評論の骨格となるのだから、必要なことだが、それにしても、見続けてしばらくたつと、似たパターンばかりになってくる。5000本映画を見たあとなら、ほとんどの
映画は目新しく見られないだろう。
ようするにルーチンワークが極まってくると無感動になっていくのだ。感動を味わえなくなる。
映画のような、感動させるために作ったものですらそうなる。
もちろん、既存の表現を超える映画があったりするから、そういったものを評論家はススメるし絶賛するだろう。ただ、本当に新しいものなんて、そんな簡単に出るものではないから、本当に見続けてくれば無感動に映画を見ることが大半になるわけだ。

しかし大きな目標を達成するためには、このときにルーチンワークをやめてはいけない。無感動のままでも、続けていかなければ蓄積がないのだ。

そこで止めてしまえば、止めていた時間は戻らない。年間に100日休んだら、映画を500本見逃したことになる。この時間はあとからは取り返せない


以上、ここまでで半分終了です。

本書でこのあとに書かれているのは

・苦しくても書く人

・いちいち盛り上がると続かない

・目標を叶えるための努力に感動を求めない

となっております。

 

逆説的な内容ですが新しい考え方の角度をご提供できれば幸いです。


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